5月/04/2017

瞑想の日々徒然 2017.5.4

DWLD0667

原初音瞑想の講座を受けて朝と夕方に30分ずつ二回の瞑想が、自分でも驚く程続いている。夕方は、時々電車の中だったり、邪魔されないようなカフェやファーストフードのお店だったりもするのだけれど。

瞑想の効果は、瞑想中に神秘体験するということではなく、日常生活の中で現象として現れてくると繰り返し伝えられる。それは、ユングが発見したシンクロニシティとして顕著に現れると。

原初音瞑想創始者のチョプラ博士や、ティーチャーの渡辺愛子さんの書かれた本なども読みながら、実践と体験を味わっている。

うっかり見過ごしてしまいそうな小さなものから、「おっ!これは何かの導き?!」と感じられるものまで、ここしばらく私にもそれが現れている。

シンクロニシティはもちろん、以前からも起きているのだけれど、益々当たり前になり、いろんなことが実際にスムースに動き出す。ふと気付いてみれば、大分自分の心や生活の「時間」の中にスペースが生まれて来たように思う。

瞑想の効果としてはっきり感じられるのは、感情や情動といった心や思考の中で「迷い – つまるところの恐れ」という、ほこりが祓われて来たと言う感覚。

瞑想を初めて割と早い時期に、丹田のあたりからふつふつとした「至福感」を味わった。

英語で言うところの「Bliss」。聞いていはいたけれど、「これ〜?」という感じで、しばらくヘラヘラと笑いが止らない状態になり、自分で可笑しくなってしまった。

その辺りから、何かしっかりとした「力」が肚に納まった感覚がある。

揺さぶられる事象が無い訳ではないけれど、その衝撃をきっかけに始まる想像ドラマの連鎖の勢いは随分と萎んで来た。

以降、起きたことや起きていることをちょっと離れた所からみてみると、なるほどという道筋が見えてくる。

まだ、それは細く透明な糸(意図)なのだけれど。

逆に、これまでそうして来たように、何かを動かそうとして意志の動力を力づくでやろうとするとすごい疲労感と、結果もいまいちなことに。

「ありのまま」に在ることは、小さな自分が奮闘して向かうことではない。
大きな自分とともに在る、ということ。

小さな自分のやることは、その大きな自分と共に生きると言うこと。
ここ3次元世界でのスピリチュアル・プラクティスの根本はここにある。

こちらの世界かあちらの世界、ではなく、こちらの世界もあちらの世界も全て共鳴し合っているということ。内なる世界も、外の世界も、あなたもわたしも。あの人達も私達も。

だから、今わたしがここで何を感じ、何を選択し、創造することがわたしひとりのことではなく、全体へと響く。それは、世界への責任でもあり、同時に、孤独からの解放でもある。

何を世界に贈りましょうか。

まずは自分の中の安らぎにくつろぐことから始めよう。

そして、迷ったら、いつでも、ここに戻ってくればいい。


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