8月/04/2018

命の余韻〜義母のカラダが教えてくれたこと〜

 

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義母が最期に見せてくれたこと。それはそれは美しい、魂が抜けた「からだ」。

亡くなってからほぼ2日間、自宅の居間で寝かされていた義母の身体は、朽ちていくというよりは輝きが増し、納棺されるときにはしなやかで柔らかく、私はそのふっくらとして透明感のある肌から目が離せなかった。

それほどご遺体を見つめる経験はこれまでにもある訳ではないけれど、その変化は初めての経験。正直、魂が抜け出た後の人の身体はまさに「空っぽ」になって、硬直した蝋人形のようになっていく、というのが私のこれまでのイメージ。しかし、義母はある意味、若返るくらいにきれいになっていった。

葬儀社の方が言うには、亡くなっても人は24時間は耳が機能しているので、どんどん声をかけてさしあげると亡くなられた方は喜ぶんですよと。だからお顔も変わっていくんです、と。

常に誰かが側にいるようにして、かわりばんこに、ひ孫や孫、姉妹やその他身近な方々がお線香をあげに来る度に、その安らかな寝顔をみながら「きれいだね〜。」「まるで、いつものように寝ているだけみたい。」「肌が本当にきれい!」「これまで、よくがんばったよねえ〜。」などなど声をかけて戴くなかで、変化していったので、やはり聞こえているんだなあと納得する一方、もう一つ思い当たったのが「発酵」してるということ。

とあるお医者さまの話を思い出し、はっ!気がついたのは、義母の腸内環境。

約7年前にガンが発症してから、アメリカ発の酵素栄養学に基づいたファスティングをして一旦はガンが無くなり、再発後は抗がん剤の効果促進と、治療に耐える身体づくりをするために、腸内環境を調えて免疫力をアップすることをイメージしながら、発酵伝道師でもある息子のアドバイスのもと、発酵食品を様々食べていました。最期の食事も、常食となっていた、質のいい乳酸菌が沢山入った「豆汁グルト」と松山のちゃんと発酵している麦味噌の味噌汁。それらを前日に口にして以降何も食べませんでした。

身体の機能は全てがその瞬間止ってしまう一方で、身体の中の菌達はまだまだ活動している。だから、質のいい発酵食品を食べていた人の身体は亡くなった後も柔らかく、ふっくらするんです、と、その「あるお医者さま」が話していたことが正に義母の身体に起きていることなんだと納得。

菌の働きは発酵か腐敗。

ひ孫や、家族、友人から「きれいだね」と讃えられ、「よくがんばったね」と承認されたことで義母の身体の中に残っていた菌達は発酵の働きをしたのかもしれない。これまで、住まわせてもらった義母の身体へのご奉公で最期に義母を輝かせてくれたのかなと思うと、見えない彼らの存在感が急に増して来た。義母もこちらの世界への執着はさらりと手放し、菌達に身体を明け渡したのでしょう。

家の手伝いと妹達の面倒をみるために高校には行けなかったけれど、いろんなことを独学しては自分なりの方法論を見いだしてきたイノベーターらしい最期のギフト。自分の息子が手がけるライフワークを見事に承認して旅立ったのだなあと思う。

魂が抜けても尚、輝く身体を残したいなあと思う初七日の夜。

穏やかな脱力感〜義母を偲んで〜

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7月28日、満月の夜に義母が肉体を離れ、光の世界へと還りました。生前、特に乳がんが見つかってからのこの6年余り、治療についてアドバイスやサポートをしてくださった皆様には心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 
新しい抗がん剤を始めたばかりの時にこの暑さで熱中症を起こし緊急入院したのが22日。そこからは緩やかなジェットコースターに乗ったように、78歳の人生の終焉を迎えました。
 
入院してしばらくは一度回復し、いつものようにいろんなお話をしてくださったのですが、その後呼吸が難しくなり、そこからはあっという間でした。
 
退院後の介護のこと、この暑さのこといろんなことを恐らくイメージしながら、意思を持っての旅立ちだったと私は感じています。
 
農家の長女として生まれ、結婚してからも家業を切り盛りし、未亡人になってからは女手一つで息子や娘を育て、病になる直前まで福祉の仕事をするなど、一生懸命生きてこられた方でした。護るべきものは守り、分け与えるものは分け、今必要なことをやる。身体はとても小さいけれどガシッとした手が印象的でした。
 
ひ孫や孫、3人の妹たちとその家族、地域の方々や福祉の活動で共に働いてきた方々に見送られ、昨日一切のセレモニーを終えました。
 
相変わらず、家族葬とはいえ賑やかで、ひ孫たちが代わり番こにお棺の中の義母の顔を覗き込んでは、その周りでじゃれ合い、記念撮影までしたりして、とても自然にばあちゃんの死を受け入れている姿が、私たちを和ませてくれました。
 
4世代が隣同士で暮らしてきたギフト。様々な難しいこともあったと思いますが、義母はその死をもって全てをまあるく繋げてゆきました。
 
仲良く暮らすのが、一番!
 
というのが口グセで私もそれが最後に聞いた言葉となりました。
 
身内を見送ることの壮大なプロセスの中にまだありますが、お義母さんにはただただ感謝でいっぱいです。この追悼を記すことで、短い間ではありましたが、義母の78年への敬いとともにその人生の証を私自身の胸に刻み込んでおきたいと思います。
写真は町内の天神さんのお祭りの灯篭。お義母さんが旅立ったのは子供の頃、いつも楽しみにしていたお祭りの夜でした。