ありのままに生きることは等身大の自分を体感し、受け入れていくこと。
一所懸命に取り組んでも自分のした仕事に満足感が得られず自分が所在無い感覚にとっぷりつかることがある。
私の場合、それはフラメンコのライブ然り、何かのプレゼンの場だったり、ゲームのファシリテーションの中で起きたりする。
未知なることへの関心と、何かしてみたいという好奇心が先に立ち、やってみたところで終わったあとに、もっと何か違うことができたのでは無いか、もっと上手にスマートにできたのでは無いかとグタグタと後悔したり。
等身大では無い自分を描いてる場合もあるし、迷いの中でやり通した時もある。
何れにしても消化不良。
胸のあたりがもやもやしてなんとも心地よくない感覚。
そんな感覚にじっと浸かりながら、耳を澄ましてみると聞こえてきた。
『それもまた起きたこと。
描いていた絵が完成しないパズルのピースが忘れたり見つけられなかったりしても、ただそれが起きなかったということ。
起きたこと
起きなかったこと
その両方を信頼してみたら?
それは、あなたが一人でやってるわけでは無いのだから。』
そうか、そうだよね。
起きなかったことにも意味が在る。
小さな「わたし」が予想したり、考えていることなんてほんとに小さな範囲のこと。
見えて来ないところにもちゃんと「表現」がある。
そこに気づいていること。
そして、必要なら改めて次への一歩を考えればいいのよね。
そうやって道はできていくのだな。
経験を重ねるとはそういうことなんだ。
ある瞬間にやってるたった一つの洞察は長いこと空いていた穴に蓋をしてくれた。