フラメンコ*18年目の秋

投稿者: | 2015-09-05

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会社員となり一年が丁度過ぎた30歳の秋に恵比寿の読売カルチャーセンターでフラメンコを習い始め、なんと17年あまり。あっという間だったけどそんなに時間が経ったんだ!!と唖然とする。

初めてのレッスンは短パンとスニーカー。

片足ずつ二回踏み鳴らすパソができず、鏡に映る姿が無様で自分で可笑しくなった。その可笑しさが、不思議と気持ちよくて、これ何?という感覚がスイッチを押したのがわかった。踊って気持ちいいということではなくて、自分のかっこ悪さを目の当たりにして何かが吹っ切れたのかも。

以来、フラメンコはご飯を食べるのと同じように日常生活の一部となっていきました。

「カラダを動かす」ことから始まり、最初の3ヶ月が過ぎ、セビジャーナスの音楽の中で初めてリズムとシンクロして「カラダが動いた」時の快感は忘れられない。「これ、たのしい!!!」とカラダ全身が喜んだのを覚えている。

それからは、取り憑かれた様に訳のわからないリズム構成や曲種を理解するためにあれやこれや。フラメンコという文字があれば手にする、という日々。まったく新しい遺伝子をカラダに取り込むために空いた時間をフラメンコに注ぎました。

自分のかっこ悪さを目の当たりにして始まったプロセスは、踊りを学ぶと同時に、私にとっては全てがそれまで自分でも知らなかった、私自身の心の閉塞感に穴をあけ、風を通してゆきました。

自分が「これが私のカラダ」と思っていた輪郭は、まったく動かして来なかった部分を動かすことで大きく広がり、カラダがひらかれていくことで、「呼吸」をするようになり、そして心の筋肉も鍛えられていきました。

フラメンコを通して発見した「カラダ」と「呼吸」と「心」の関係。

鏡と向き合うレッスンだけでなく、それは教室の仲間との群舞を学ぶ中で、またソロで舞台に立って踊ること。そしてフラメンコの技術の成長の遅さにしびれを切らして学んだ、フリームーブメント&ダンス瞑想。そして、フラメンコの旅と並行して通ったフィンドホーンでの体験を通してのココロと魂そのものの探求。360℃の角度からこの17年間学んできたこと。まっしぐらにフラメンコそのものを追求してきた訳ではなく、大きく螺旋を描きながら歩んできた時間だった。

ヒターノの血が流れていない私にとって「純粋なフラメンコ」は決して、自分のものにはなり得ない、それはスペインで過ごしたつかの間の時間の中で思い知った。でも、彼らの「生きる」というエッセンスがフラメンコには凝縮されている。フラメンコを踊ることはそのエッセンスを自分の人生に取り込んでいくこと。繰り返し、繰り返し。それはこれからも続く。

カラダと心の世界も、そしてフラメンコの奥底に流れる生命の躍動も知れば知る程に道は長くなり、奥行きが深くなっていく。
終わりの無い旅はこれからも続くのでしょう。

そんな私のフラメンコ生活18年目に入る10月。再びカルチャーの教室に通うことになりました。
今度は生徒ではなく、講師として。

途上ではあるけれど、私がフラメンコを通して自分の心と向き合い、カラダで体験、体感し得てきた知恵と私なりの人生への答えが今伝えられることのすべて。

前任の先生がこれまで大切に育てられた生徒さん達。そして新しくフラメンコを始める生徒さん達。ここ10年余り、カラダと心を繋いでいくという視点で私が学んでいることを伝えられる場を与えていただいたことに心から感謝しながら私自身も成長していきたいと思います。

*レッスン*

毎週水曜日 初級12時半〜13時半 入門 13:45〜14:45
@南砂町カルチャーセンター

お問合せは南砂町カルチャーセンターまで御願いいたします。
http://www.culture.gr.jp/sunamo/blog.php