新たな試みとして
昨年からプログラム自体には私自身が参加はしないようになりました。そもそも、オーガナイザーはプログラムへの参加はしないというのがフィンドホーンで行われるプライベートグループでは基本的な在り方だったのですが、日本からのグループに関しては言葉の問題などもあってこれまでオーガナイザーが参加するのを大目に見て来てくれていたのです。
オーガナイザーが参加しない方がいいという理由には、やはり何度も体験週間を経験している存在がグループにいることは、どうしてもそこにパワーがうまれてしまう(頼ってしまう)ので参加者の方々が「ありのまま」で参加しにくい、また体験週間で体験を分ち合うグループの中で、何かあった際にはそのグループの中で解決していくこと(それは、そこに関わっているフィンドホーンのメンバーであるフォーカライザーも含まれます。)をまずは試してみる、ということもまたフィンドホーンのコミュニティライフを体験するプログラムの一環ということなのですね。(ただし、ここで明記せねばならないのはこれが成立つのも、通訳以上の在り方でコミットして下さるまりりーなこと、通訳の渡辺雅子さんがこのツアーに参加して下さるからです。)
私自身は日本の社会における「グループリーダー」が負う暗黙の「責任」という感覚と、フィンドホーンで実践される「体験」を重視してプロセスするという実践との間でなかなか答えが出せなかったのですが、グループリーダーの役割をフォーカライザー、そして、フォーカライザーと参加者の皆さんを繋いで下さる、まりりーなに委ねるという在り方で過ごしてみることにしました。
私にとって、これは「信頼」を学ぶ時間でもありました。
フィンドホーンの実践と、私自身を含め一人一人のプロセス、そしてその場に働く目には見えないけれど確実に恊働しているディーバたちへの信頼。そして、All is very very well であるということへ。
ちゃんと、それを試すかのごとく体験は待ち構えておりましたが、私自身の実感としてなぜ、オーガナイザーがグループから外れる必要があるかを改めて納得しました。
参加者のみなさんの一つのお声として、イントロダクションの場で私の役割をファーカライザーにお渡しした際に「そうか!しっかりしなくちゃ!と感じ、より積極的にプログラムに参加することに繋がった」というお声が聞こえてきました。それを聞いたときはとても嬉しく思いました。体験週間はまさに「体験する時間」。「普遍的でつねに新しい在り方」を実験、体験する場だと私は思っています。まだまだ、私の人間性の器は小さなものですが、いつでも試行錯誤しながら最善を求めてゆきたいなと思います。
つづく