朔旦冬至にお礼参り

投稿者: | 2014-12-24

東京は快晴。気持ちの良い一日となりました。あっという間にクリスマス。ここを超えると一気に暮れに向かってスピードアップしていきますね。少しずつ年越しへの準備も始めつつ、振返りつつ。

この週末、新月と冬至が重なる朔旦冬至を迎え太陽と月の復活を祝うというエネルギーの中、今年お世話になった田んぼのお掃除と供え物でお礼参りをしてきました。

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退職後のやりたいことリストの中に「食べ物を育てる」ということがあり、大変ありがたいことにその機会を得ることができました。相方が所属するとある健康関係のNPOでの活動の一つで、千葉にある農薬を使用していない田んぼをお借りし有志の会員でお米作りをしました。地元に住んでいる若い兼業農家のUさんにお手伝い頂きながら、一反七畝の田んぼで20名余りの方々とともに米作りを経験。恐らく、我々が手を出せたのは本当に一部ですが、されど一部。それはそれは貴重な時間でした。のどかな晴れた日の田植えで感じた田んぼの温かさ、自由に泳ぐカエルの伸びやかさ、どろんこになってる子供たちとそれを楽しむお母さん達。みんなで力を合わせて作業する時間の心地よさ。

身体の細胞が喜ぶ時間でした。

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私が参加したのは田植え前の地ならし「代掻き」と「田植え」「草取り」そして「稲刈り」。その他の行程はグループの他の方や世話人の皆さんのお陰さまです。その後に届いた25キロの玄米の米袋には思わず合掌。

私に取って、この米作りは生きることへの信頼に繋がる大きな経験となりました。やはり、瑞穂の民。お米が自分たちでも作れると実感することは、何か心身魂いかなるレベルで「自信」に繋がることでした。野菜とは違うどっしりとした感覚がありました。

稲の生命力は圧巻。ひょろひょろっとした2本の苗が、それぞれたくさん分蘖して大きな株に育ちました。刈り取った後もしばらくするとあたらな芽が出て米をつけていたり、寝かした稾を畦に置いておいたら、沢山の新芽が出ていたり。このたくましさを持つ植物だからこそ、古より人間を育ててくることができたのかと。

農家に生まれたり、当然の様に野菜やお米を作っている方々から見たら、なんとも稚拙な感動かもしれませんが、いかに自分がこの「土」から離れて生きていたかということですね。これが、特別な体験になってしまう生き方だったんだと思います。逆に言えば、だからその貴重さを味わえたのかもしれませんが。

今の「暮らし」のサイクルの中に畑やたんぼが加わることは、確かな食べ物を得ることも含め、不安や恐れをベースに起きることからの脱皮に繋がることなんだろうなと思います。

来年は地元の神主さんから田植え歌習いたいと密かに計画中。田植えダンスも踊ろうかな〜。

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秋の古代文字アート集団「天遊組」の展覧会にてこの田んぼのエッセンスを作品とて出品しました。真ん中のカエルは「蛙」の古代文字なのです^^
タイトル「Abundance」