アイオナ島巡礼紀行 2015

投稿者: | 2015-05-16

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フィンドホーンからアイオナ島へ一人旅

体験週間の後、グループ解散後しばし久しぶりのバックパッカーの旅へ。ここ数年念願だったスコットランドの聖地の一つ、アイオナ島へ数日間の旅。

自分自身の体験週間を受けた翌年の2005年、ちょうど同じ5月のこの週にリトリートに訪れて以来10年振り。違うのは今回はプログラムではなく、自力の一人旅ということ。時間は限られているのである程度の予定は立てているけれど、ちょっとした冒険に心躍る。

月曜の早朝6時半にクルーニーを出発し、フォレスからバスを4回、フェリーを2回乗り換える。その道中、ネス湖畔を走り、ハイランドの丘と新緑が輝く森を過ぎ、いくつかの町を経由してイギリス本土を離れると、島全体が苔むした岩山と乾いた草原が連なるマル島のランドスケープの中の一本道を行く。

車窓から眺めるスコットランドの風景に目が離せなかった。青空とたなびく雲、そして北の太陽の光。その全てが創り出す世界の美しさに、その風景の中に居ること自体が現実ではないような感覚になった。

途中、広大な草原の中にぽつんと立つ家の前でバスを降りる人がいる。その人とその家族の暮らしぶりを想像しながら、ここに生まれたらどんな人生だったのだろうと、ぼんやり考えたりして。

18時過ぎにようやくアイオナ島の港に到着。10年前とはなんら変わらない風景にほっとした。

IMG_3473北の国の夏の日は長い。19時近くでもまだ明るく、静かな海とのどかな羊達の草を食む風景の中を20分ほど歩いて今夜の宿となる「アイオナ・ホステル」へ。島の北の端っこに立つこのホステルはとても綺麗に管理されていて、お部屋もリビングキッチンもシャワールームもとても清潔。そこここに環境への配慮がなされ、スコットランドのベスト・エコ・ホステルとしてアワードも取っている。

キッチンでは泊まり客たちがそれぞれ夕食の準備を始めていた。私は本土側の港町、オーバンでフェリーを待つ時間にスーパーで準備したパンとカップスープ、そしてフルーツで簡単な夕食をとった。これまたバックパッカー時代の馴染みの食事。久々にバックパックを担いで良く歩いたので程よく疲れ、まだうっすら明るい11時に二段ベッドの上の段に滑り込んだ。イギリス人の男性と女性、それぞれ一人旅のルームメイトのいびきを子守唄におやすみなさい。

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Janeおばあちゃま

ホステルが今夜からいっぱいだったので、朝食後にこの後の2泊をお世話になるJaneおばあちゃまの家に移動。セルフケータリングのコテージにはベッドルームが二つと暖炉付きリビング、キッチン。窓からは静かな海が一面に眺められるなんとも贅沢な空間。もともと牛小屋だったところを改装したそうで、とってもコージーな空間。

願わくば、もっと長く滞在したいところだけれど、今回は二泊のみ。家主のJaneおばあちゃんは80歳で小柄でカクシャクとしていてとても愛らしい方。私が自分でパンを買って来ていたことを確認すると「You are surviver!」といってガッツポーズしてくれたのが印象的だった。

ロンドンから1968年にこの島のホテルに働きに来て、そしてご主人と結婚、一人息子を授かったものの、彼を20代の若さで海難事故で失ってしまう。当時、マル島に住んでいた彼の友人達3人も一緒に。この島の歴史的な悲劇の一つとなったと。でも、不思議なことに子どもを失ったマル島に居た家族達はここアイオナ島に移住し、その後もこの島に住みつづけ、ここを愛しているのよと。なんだろうな、この温かみは。アイオナ島は小さいけど大きい。この土地そのものの癒しの力なのかな。

一人には広すぎるコテージに少ない荷物をほどいて、つかの間の「自分の家」にする。

アイオナ巡礼へ

IMG_3420毎週火曜日はAbbey (アビー)を運営するアイオナ・コミュニティが主催する島の中の巡礼がある。オフロードとオンロードに分かれていて、オフロードはまさに舗装されていないトレイルを歩くコース。距離も11キロ程度を歩き、時間は途中ランチとティータイムを挟んで10時過ぎから4時頃までと一日がかりのプログラムとなる。オンロードは舗装された道沿いにあるスポットを巡り距離も時間も半分程度。

私は今回、これが目的でもあったので迷わずオフロードコースへ。防寒&雨合羽で準備万端整え、Abbeyやホステルに滞在する9名の参加者とボランティアガイドの女性3名で出発した。

歩きながら、それぞれ自己紹介しつつ今日のチームが出来上がっていく。フィンドホーンのことを知りながらまだ行ったことが無いという人が結構いた。その一人、ロンドンに住むライターの女性もまた知ってはいたけれどきっかけがなかったとか。私と会えたことをとても喜んだくれて、この後も島に滞在している間も度々出会い、いろんな話をした。こういう出会いから、それぞれの旅がまた繋がっていくのは嬉しいものだ。

巡礼の始まりはAbbeyの中のSt. Martin Cross(聖マーティンの十字架)から。St. Martinは4世紀に生きた聖人で、ローマの闘いの神様であるMarsが名前の由来。そしてその名の通り、軍人の家系に育ち、彼自身のローマ軍の兵士だった。伝説によると、ある極寒の日に裸のホームレスの男が突然目の前に現れ、その姿に胸を痛めたMartinは自分が着ていた軍服を引き裂いて彼に与えたところ、その夜の夢にその引き裂かれた軍服を身にまとったキリストが天使や聖人に囲まれて現れた。以後、彼はキリストに仕え、闘うことを辞めて聖人として生きる誓いを立て、ケルトの教えの中でホスピタリティと良心のもと卓越した仕事をしたそうだ。

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St. Martin’s Cross “Around A Thin Place”から抜粋

St. Martin Crossはここに建てられ、それから1200年以上もじっと立っている。マル島とその向こうの人間の世界を眺めながら。バイキングの時代に始まり、中世やルネッサンス、産業革命に世界大戦、冷戦。。。という人間達の時代が移り行く時間の間、ずっと。

その石の十字架に掘られたケルトの模様は地球と天国、神聖な世界と俗世が絡み合うパターンを表している。この大きな宇宙の循環の中に私たちは存在し、そこからはこの身一つで飛び出すことはできない。死して肉体を離れるか、または自分の中に存在する宇宙、潜在意識の海に潜り込むか。いずれにしても、この肉体はこの地上でしか生きられない。

我々が必死になって歴史を創り上げるも、さりとてそれは神様の手のひらの中を歩き回っているようなものなのだと。(孫悟空の物語思い出した。)

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Nunnery 女子修道院跡

次に訪れたのは女子修道院の跡。当時の建物は屋根も落ち、残った建物跡の中に草花が植えられて庭となっている。

13世紀初期にアウグスティノ会の人たちによって建てられた。隣に聖コロンバが運んで来たベネディクト会のAbbeyも同時期に建てられた。当時はこの修道院がこの島のコミュニティの中心的存在であり、ここでは尼僧達もAbbeyの僧侶たちと同じ様にここで寝食と祈りを共にし、コミュニティに奉仕をしていたそうだ。

そこから400年までの歴史は残るが以降は途絶える。教会の政治的な圧力の中で消えていった存在。女性達のパワーはここでも消されていった。Abbeyは今日まで建て直されながらいまだに活かされる一方、この修道院は遺跡となった。

一度は建て直すアイデアのあったが、このままの姿を活かすことで、隠された女性達の奉仕と存在感を伝えられると、このまま残されたそうだ。恐らく、世に知られること無く、歴史書にも載ること無くただ奉仕に尽くした女性達がこれまで数々いたことだろう。ここでは、私たちがそれぞれ思い浮かべる純粋意欲のもとに身の回りや世界に奉仕した女性達の名前をいいながら感謝を捧げる祈りをした。

巡礼と言う名の通り、その場所にまつわる歴史や伝説を伝えるほかに、その場所ごとのテーマに沿って問いかけがなされる。自分自身の内側を見つめる投げかけがあり、そして聖書の一部を読み上げたり祈りを捧げたり。自然とそれぞれ自分の内側と向き合い、分ち合いも深くなる。

「アイオナを訪れる人は、変容の途上にあると言われているのよ。」と、アメリカはオハイオから来ている牧師さん夫妻の奥さん。

私も今はまだ移行期、新しい人生の時間をつくりあげている途上というこの時にに訪れており、彼女もまた、看護師から死を前にした人々と対話をするスピリチュアルディレクターとなるチャレンジに向かうところ。安定を手放すということは今の世の中を生きる上では大きな決断が要ること。私は既に踏み出していて見えない道を模索しながら歩き出しているだけに、彼女の気持ちはよくわかる。そんな話をしていたのがたまたまSt.Clomba Bay(聖コロンバ・ベイ)というシンクロニシティ。

聖コロンバはアイルランドから旅立ち、563年にここにたどり着いて、ここから新しいミッションを始めた。そんな歴史的な背景から、この浜は「新たな始まり」を象徴する場所とされる。ここでの儀式は、一人一人が手放したい過去や想いを石に託して海に投げ捨て、そして海を背に戻る時に、新たな始まりのシンボルとしてもう一つ石を持ち帰ってくるというもの。

私は、ここからもう一歩新たなステップを踏み出すために、その恐れと疑いと共に重たい黒っぽい石を海へ投げ入れ、帰りに光って見えた、まあるい白い石をいただいた。

IMG_3426雨が大分ひどくなって皆ずぶ濡れになっても、文句を言う人は誰もいない。とはいえ、Abbeyの車がやってきて、手早くお茶の準備をしてくれた時はみんな声をあげて喜んだ。ガイドのロージーが「Wonderful!」というなり、「この大雨の中でお茶を飲むって言うのに、素晴らしいだって!ほかではありえない!」と背の高い若い男の子。皆で笑い合う。

お天気にサレンダーすることで心も軽くなり、楽しくなって来るのだから面白い。車のボディで雨風をよけながら戴くアフタヌーンティーとフラップジャックは神聖さの中の「俗世」の温かさを味わう時間。このバランスがツボ。この国のティータイムは絶妙な間だと思う。

さて、ここからがこの巡礼のピーク。High Point(ハイ・ポイント)と呼ばれる丘の上まで一気に上がり、そこからHelmet’s Cell(ヘルメット・セル)までの道をサイレンスウォークで歩きHelmet’s Cellでは、しばし瞑想。High Pointでは天気がよければマル島や周りの島々も見えるらいしいけれど、今日はほぼ何も見えず。その分内側に入る時間となった。

この一連のプロセスのテーマは誘惑と変貌について。それは、高いところに立つことの危険を思い返すこと。世界を征服したかのような感覚に支配されて、人民を掌握しようとする態度は自己を見失う危険があると、聖書にあるキリストとその使徒の物語と合せて説明があった。高いところに到達するまでの努力や勤勉を思えばVictory!と喜ぶのは当然のこと。でも、そこには常に危険が伴う。確かにその通り。それは孤独と分離への危険。あるいは意識的、無意識的な支配の危険。大なり小なり、そんなことを私自身もこれまで経験して来た。大切なのは降りていく時に見える風景なのだと思う。私たちは常に大地に足をつけ、この現実の世界に帰っていくのだ。

私はサイレントウォークの中でかつて同じ気づきを得た時のことを思い出した。

20代の旅でタンザニアに滞在していた時、なんとなく旅がマンネリ化してしまい、それを打開するためにキリマンジャロに登った。キリマンジャロの頂上手前の山小屋で迎えた黄金のご来光は神様としか思えなかった。そこで見た荘厳な世界を忘れることはない。この地球、宇宙自体が神様であると心身魂で実感した体験だった。しかし、そこは空気も薄く、紫外線も強くそして命が育つ場所ではなかった。そこにずっと居られる訳ではない。少なくともこの肉体と共にこの地上に生きている限りは。

山を降りながら少しずつ植物が現れ、森に入り、そして小さな家の煙突から上がる煙をみた時の安堵感は涙が出るほど懐かしい風景だったのを思い出す。植物も、虫も、動物も、そして人も全てここに生きている自分と関わりがあるということを感覚的に理解した時間だった。その温かみは今でも私の中のこの「人里」への信頼感に繋がっている。

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晴れた日にSt.Oran ChapelとCemetery

Helmet’s Cellでの瞑想を終え、巡礼は最後のポイントSt.Oran’s Chapel(聖オランチャペル)へ。High PointからHelmet Cellでの瞑想を経て、ここ人生の最終地点を象徴するチャペルでこの巡礼が追わる。

12世紀に立てられた小さな石造りのチャペル。中には棺を置く台とベンチ、そして質素な燭台があるだけ。ここはこの世の人生と終えた人たちを送り出し、その身体を休ませる場所。

アイオナ島は実はキリスト教がここにやって来る前の古代から人生の終期を迎え眠る場所とされてきたという。「理想的な埋葬場所」というこの島に憧れ、何人ものこの世の役目を終えた王様や司祭たちがここに埋葬されているらしい。

アイオナ・コミュニティの創設者であるGeorge McLoad(ジョージ・マックロード)は「アイオナはテッシューの重なりの様に物質界とスピリチュアルの世界が重なりあう場所」と残している。つまり、死後の世界と現世の境目のような場所なのかも。英国本土よりも古くから在るこの土地の、土地としての落ち着きが、人生を終えて永眠の場所として人々に選ばれ、また、その人々の安らかな魂の寝息がこの島の深い静けさと安らぎをあたえているのかもしれない。

一方で、このチャペルの名前になっているSt. Oranにはちょっとブラックな伝説がある。かつて、教会はその神聖さを高めるために僧侶達が生きながらにして埋葬されるいわゆる「生け贄」の慣習があり、Oranもまたその一人となった。埋葬されてから3日後、聖コロンバが棺を開けたところ、Oranはまだ覚醒しており、そして「死の旅はこれまで説かれているような、光明に満ちたものではなく、また地獄もない。」と語ったところ、これ以上真実を明かされては困ると再び棺を閉じてそのまま埋葬したと。背筋が寒くなるような伝説で本当かどうかわからないけれど、権威や政治的な理由で真実が封じ込められることは、私たちには親しみのあること。聖なる道を歩みながらも同時に人の道も歩む中で、こうした過ちもまた冒す危険があるということ。先ほどのピークと同様、神の世界と人の世界は同時に存在するということなのだ。少なくともこのブラックな伝説を伝え、それをこの巡礼の最終地点にしていることが私にはとても面白く感じられた。

旅、過去から未来へ移行する時間

IMG_3518一日、歩きながら様々な想いが浮かび上がってきた。ほとんどが「旅」についてのこと。

ケルトのプラクティスは「旅」ー 巡礼が重要とされている。「旅」とは見知らぬ時空へ踏み出すこと、そのきっかけはなんであれ、過去から未来へ移行する現在進行形の状態。そう思うと、どんな人生であれ、やはり私たちは生涯旅をしているわけだ。もしかしたら、この肉体を離れた後も、ずっと。

巡礼は「旅」の本質をフォーカスする。日常の雑音や慣習の中で聴こえにくくなった自らの内側の声に耳を傾ける時間となる。
特に、聖地と呼ばれる場はやはり特別な磁場が在ると思う。

その磁場に引かれて人々が訪れ、振り返り、祈り、癒し、そして人生のフォーカスを定めては戻っていく。その人々の意識がその場の磁場をまた育てていく。日常から抜け出してその神聖な場所に向かい、そしてまた戻っていくとき、その日常の風景はまるで違って見えてくる。これは私の経験に過ぎないけれど「旅」の効用はこういうこと。だから、私にとって帰る場所が在ることはとても大切なこと。そこが私の生きる場所であり、実践の場でもあるからだ。

もう少し、深堀すれば、「旅」をとおして日常生活の中でいつの間にか「自己」という存在の全体性を忘れてしまい、小さな「自己」に絡まれて鎧のようなものを纏ってしまっている状態を解放し、本来の大きな「自己」に戻る時間。大きな「自己」から見ると、小さな「自己」は本当に小さな存在になっていく。(かなり頑固では在るけれど。)また、その大きな「自己」のゆりかごのような安寧は、小さな「自己」にも広がる。それは分離した二つの自己ではなく、大きな「自己」に全てが含まれる。私なりのワンネスの理解はこういうこと。

その大きな「自己」がある意味「旅先」なのかもしれない。これまで、地球上の様々な大地を歩き、色んな名前の着いた海に浮かび、肌の色や言葉が違う人々と対話をしながら「小さな自己」を育てて来た。大分育ったかと思えば、まだまだ未熟さを味わう。だからやはり現在進行形。内なる旅は続くし、結論は、出なくて良いのだ。だから、楽しむべし。たとえそこに至るまでに時間がかかったとしても。

たった一日のアイオナ島の日常時間

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DUNIの頂上 「向こう側」を臨む

3日目の朝、まだ雨もちらついたので静かに家の中で過ごしている間に、太陽が顔を出して来た。早速、町に行こうと出かけたのだけど、途中、巡礼で行かなかった「Dun I」への道を見つけ、予定変更。そのまま一気に登った。

標高600メートル程度とはいえ頂上からは島の360度を眺められる。昨日とは打ってかわり周辺の島々がきれいなエメラルドグリーンと深い青が混ざる海の中に浮かんでいる。ものすごい風に吹き飛ばされそうだった。

思えば、これまでも初めて訪ねる街では必ず、まず、高いところに上がって街全体を見るのが「ならわし」だったなと思い出した。本能というか、好奇心も合せてついつい高いところに登りたがる。私だけがそうなのか、もっと一般的なことなのかはわからないけれど。

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トレイバーンのサンクチュアリ

ゆっくり降りていくと既に12時近く。そのままフィンドホーンの施設トレイバーンに向かうことにした。毎週水曜日の12時からサンクチュアリは一般の人たちに解放される。

10年前のこの同じ週に一週間過ごしたトレイバーンとそのサンクチュアリ。あの時に始めて手と手の間にぼわわんと「気」が生まれて以来、今でもそれは続く。実際に感じる温かさとその跳ね返すような力は私がこの肉体だけの存在ではないのだなということを実際に感じさせてくれるきっかけとなった。改めて、繋がり直す。あの時と変わらない窓からの風景と、そしてサンクチュアリのパワーとともに過ごすつかの間の時間。瞑想の時間が終わってもしばらく離れがたかった。

お昼を過ぎてお天気はどんどん良くなり、島全体がきらきらと輝き出す。3日目ともなると行き会う人の中に知る人も増えてくる。昨日の巡礼で一緒になった人やフィンドホーンで先週であった方等あちこちで出くわしてはひとしきりお話ししてまたね、と。住所を交換するでも無く、一期一会の出会い。なんとなく、また会えるような気がするから不思議だ。

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Abbeyの回廊 Tree of Lifeという名の受胎告知を描いたオブジェ

Abbeyでは毎朝9時と毎晩9時にサービスがあり、誰でも参加できる。クリスチャンとして洗礼を受けていなくても。Iona Abbeyは現在コミュニティで運営されていていろんなところから集まるボランティアと有給で働くスタッフで運営されている。キリスト教が母体ではあるけれど、セクトがあるわけでもなく「全世界的」なクリスチャンの教会で、サービスもそのボランティアとして滞在している人たちが祈りを読み上げたり、歌をリードしたり。それぞれの曜日にテーマが在り、火曜日はHealing、そして水曜日はCommitmentだった。それぞれに儀式があり、誰でもそれを受けることができる。私は、一日の終わりの夜のサービスに毎晩参列させていただいた。

寝る前に散歩と合せて心を鎮める時間。こうやって意識的に一日を終えることは都会で仕事をしていたらなかなか得られない。これを「日常」としてこちら側に身を置いたとき、東京での生活がどのくらい時間に追われ、ありとあらゆるエネルギーの中を生きているのかということが見えてくる。いつも頭と心と身体に時間差があるような生活。いい悪いという判断ではなく、その違いに愕然とする。同じ人間が暮らす環境としてこの地球上には本当に様々な時間軸が存在するものだ。そして、私の家はその中の一つである東京にある。High Pointでのプラクティスがまたここで思い起こされる。ここでの時間がHigh Pointの時間であるならば、東京での自分の日常が「人里」となる。自分の中にここで自分の中に記憶したサンクチュアリを携えて、ゆっくり帰っていこう。

天国に一番近い島

4日目の朝もまた晴天になった。今日はもうこの島を出る日。

午後に本土側の港町オーバンに移動する前に、もう一度歩きに出かけた。なんとなく、巡礼で歩いた方向に向かい、途中気になった丘(やっぱり高いところに行きたがる。。)を登った。眼下に羊達がのんびり草を食み、その向こうには穏やかな海とマル島が見える。東の方にはAbbeyとぽつんぽつんと家が見える。あまりに気持ちよくて、草の上に大の字に寝っころがってお日様をいっぱいに浴びた。目をつむり、自分自身から始まり、身近な人、そしてその周りから社会、国、この地球全体へ「幸福」の波紋が広がるイメージで瞑想をしてみたら、体全体に光が広がる感覚に満たされた。ただただ至福感があるだけだった。10年前、トレイバーンのサンクチュアリで経験した「繋がった」感覚が再びやってきた。

しばし、時間もピタッと止った永遠の瞬間にいた。

文字通りの「充電」時間だった。アイオナ島はまさに「天国に近い島」。人の世を闘い、生き抜いた昔の王様や司祭、戦士がここで最後は安らかに眠りたいという願った気持ちがなんとなく体感で理解した気がする。
冥界と背中合わせのこの島は、変わりやすいお天気の向こう側にいつも北の太陽があるように、穏やかで至福感が横たわる場所だった。さて、お家へ帰ろう。

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