12月/31/2014

大晦日、徒然なるままに

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今年もあと数時間となりました。幸いお天気も良く、お日様を浴びながら調子良く今年最後の洗濯、掃除、料理などなどホームケアを済ませました。お掃除をしながら、つらつらと今年過ごした様々な時間を思い出しながら、ぽん、ぽーんと浮かんでくる言葉にいちいち納得していました。

今年はいろんな学びの時間を過ごしたなあと思います。数時間の様々な講座から数週間にわたるフィンドホーンでのファシリテータートレーニングやワークショップ、数ヶ月にわたって通った自然栽培から学ぶ「日水土塾」、そして体験そのものが学びとなった田んぼ。その他に既に日常の一部となったフラメンコや古代文字のレッスン。

大人になってから生徒になることはこんなにも楽しいものかと思います。そこから何か生み出すことや広げるというコミットメント無しにただただ、学びたいことを学ぶというのは本当に贅沢な時間だったと思います。今後も続いていくのではありますが、来年からは新たな人生の木を育てていく時間になるんだろうと思うので、ぬくぬくと土の中で栄養を溜めている時間はそろそろ終わりになることでしょう。

今年のそんな学びの時間の中で大きな気づきは一つに「自然なる道」を歩むことが自分の人生の目的、ライフパーパスであるということでした。

自ずと然るべき道を歩む。

生まれてくる時に既に私たち一人一人の魂は目的を持って生まれて来ていて、それを知覚しようがしまいが、それを生きる様になっているのですね。この人生の中でやることはそれを思い出し、気づき、行動することだけなんだと。ライフパーパスは既に私の中で根付き、芽吹き、開花しては枯れ、また再生する。そして何度かの季節を経ながら「私」という一人の人間の人生のストーリーを紡いでいるんですね。

そのストーリーに常に登場するのは家族。私にとって、「家族」はいつもテーマです。
子どもの頃から決して平和な家庭の時間ばかりではなく何度と無く受け入れられないことが起きては思考停止になってきた中で今日浮かんで来たこと、それは、いろんなことありながらも、この家族を選んで私は生まれて来たということを改めて実感しました。家族の一人一人が私にこの人生の目的を明らかにするために「問いかけ」をしてくれているのだと思います。一人の肉体を持つ人間として、時にそれを受け入れることが全く出来ないこともありますが、集合意識としての私はそれを受容しているんだと、今日感じました。

頭ではわかっていても、「腑に落ちる」ことで解放されるものがありますね。
今年の間にこの感覚に至れたこともよかった〜。

さて、この後の数時間は改めて今年のご縁に感謝を送りつつ、真っ白な気持ちで新しい年を迎えたいと思います。
皆様、どうぞ良いお年を!

12月/24/2014

朔旦冬至にお礼参り

東京は快晴。気持ちの良い一日となりました。あっという間にクリスマス。ここを超えると一気に暮れに向かってスピードアップしていきますね。少しずつ年越しへの準備も始めつつ、振返りつつ。

この週末、新月と冬至が重なる朔旦冬至を迎え太陽と月の復活を祝うというエネルギーの中、今年お世話になった田んぼのお掃除と供え物でお礼参りをしてきました。

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退職後のやりたいことリストの中に「食べ物を育てる」ということがあり、大変ありがたいことにその機会を得ることができました。相方が所属するとある健康関係のNPOでの活動の一つで、千葉にある農薬を使用していない田んぼをお借りし有志の会員でお米作りをしました。地元に住んでいる若い兼業農家のUさんにお手伝い頂きながら、一反七畝の田んぼで20名余りの方々とともに米作りを経験。恐らく、我々が手を出せたのは本当に一部ですが、されど一部。それはそれは貴重な時間でした。のどかな晴れた日の田植えで感じた田んぼの温かさ、自由に泳ぐカエルの伸びやかさ、どろんこになってる子供たちとそれを楽しむお母さん達。みんなで力を合わせて作業する時間の心地よさ。

身体の細胞が喜ぶ時間でした。

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私が参加したのは田植え前の地ならし「代掻き」と「田植え」「草取り」そして「稲刈り」。その他の行程はグループの他の方や世話人の皆さんのお陰さまです。その後に届いた25キロの玄米の米袋には思わず合掌。

私に取って、この米作りは生きることへの信頼に繋がる大きな経験となりました。やはり、瑞穂の民。お米が自分たちでも作れると実感することは、何か心身魂いかなるレベルで「自信」に繋がることでした。野菜とは違うどっしりとした感覚がありました。

稲の生命力は圧巻。ひょろひょろっとした2本の苗が、それぞれたくさん分蘖して大きな株に育ちました。刈り取った後もしばらくするとあたらな芽が出て米をつけていたり、寝かした稾を畦に置いておいたら、沢山の新芽が出ていたり。このたくましさを持つ植物だからこそ、古より人間を育ててくることができたのかと。

農家に生まれたり、当然の様に野菜やお米を作っている方々から見たら、なんとも稚拙な感動かもしれませんが、いかに自分がこの「土」から離れて生きていたかということですね。これが、特別な体験になってしまう生き方だったんだと思います。逆に言えば、だからその貴重さを味わえたのかもしれませんが。

今の「暮らし」のサイクルの中に畑やたんぼが加わることは、確かな食べ物を得ることも含め、不安や恐れをベースに起きることからの脱皮に繋がることなんだろうなと思います。

来年は地元の神主さんから田植え歌習いたいと密かに計画中。田植えダンスも踊ろうかな〜。

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秋の古代文字アート集団「天遊組」の展覧会にてこの田んぼのエッセンスを作品とて出品しました。真ん中のカエルは「蛙」の古代文字なのです^^
タイトル「Abundance」

12月/02/2014

ちょっとお金の話

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12月に入りやはりこの一年を振り返る気分が高まってきます。ブログを再開して以来、どこかで常にこの一年をレビューしている私がいます。

今朝、またいいお天気だったのでホームケアのスペースへ。少しだけ庭の手入れをして、掃除と洗濯。洗濯物を干しながら、一人暮らしをしながら会社勤めをしていた時の憧れは、お日様の陰る前にホカホカの布団と洗濯物を取り込むことだったなーと思い出しました。ささいなことだけど、いつも帰宅するとせっかく乾いた洗濯物が冷えてしまっているのがいつも残念だったのですね。部屋に戻してから少し温めてから仕舞ったものでした。かつて、バックパッカーで旅をしていた時も、青空のもと、風にたなびく洗濯物の写真をよく撮っていました。思えば、そういう「ささやかな日常」を探し歩いていたのかもしれません。

この一年、やはり「経済」は「考えなきゃ」と向き合って来たことの一つ。当然、こうしてこの社会に生きている以上、何かしらお金は必要なわけで給与として入って来ない以上、何かしら自分ができるサービスをして対価を戴くことを日々考えています。

ただ、やみくもに「稼ごう」というところにはもう行きたくないなと思っています。これまでの恩恵があるからこその今だと、感謝をしつつ、マジックのような年収の金額にとらわれて時間を提供してしまうのは、せっかくそこから脱したのにもったいない!(笑)

この一年、様々なことに身を任せながら、私がそれなりに心身魂を満たし、世の中や環境とも協調しながら生きてゆくためには一体いくらぐらい必要なのかな~と様子を見てみることに。

震災の影響と共に、何か満杯になった箱から出たいと、「変化」を求めて退職する一年前に都心から国立に越してきたのは今思えば必然で、それだけでも都心に比べていろんな面で生活コストが下がり、相方とのシェアも助けとなり随分とシェイブアップ出来ました。

「忙しい」「時間がない」ということをお金で解決していることも多々ありましたね。どこから来るのかわからない価値観が選んで頭が欲しているものや時間も沢山ありました。

都心の便利なところに居たから行けたところも、国立からはちょっと遠い、また相方との生活時間を調整する中で自然と予定も減っていきました。そんなことで、友人達にも不義理となることもあり、全てが気持ちの上でスムーズでは無かったのですが、身体の疲れが以前よりも軽減したことで、接する時は私自身のコンディションが良い状態で会えるようになったかなと思います。(注 まだ精進不足の時も多々在りますが。。。友人の皆様、あしからず。)

以前、震災後のエネルギーシフトに関するお話を聞く中で、節電がまず最初。節電は発電と同じです、言われたことがとても印象的でした。経済も同じ理屈かなと思います。考え無しに使ってしまうお金をなくすことは、お金を稼いでいることと同じかなと。しかも、時間やクリエイティブな楽しさという副産物も共にやってくる。これもまた、エネルギーシフトの一つかなと思います。

まだまだ、デトックスは必要かなと思いますが、好奇心や快適さの質を見極めながら、ほどほどの経済活動を続けてゆけたらいいなあと思います。

12月/01/2014

ホームケアの一日

 

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退職モラトリアムの期間、日々自分の中の衝動に可能な限り身を任せてみようという試み(笑)をしていました。一日の中でもサマザマな衝動が起きます。朝起きた瞬間からそれが起こり(夢を観る時は寝ている間でも起きているのでしょう。。。)生活のルーティーンの中を無意識に動きながらもそれが起き続けています。ふと、目についたことから始めて、その連鎖で一日が連なっていく。

既に組み込まれた「予定」が無い限り、その衝動が次の衝動を呼び、それに任せられるスペースがあるということはとても心地よく、クリエイティブな時間となります。しかし、その衝動もある程度表現されると、ポットの最後の一滴が落ちるかの様にふと、止る時がやってきます。すると、そこはかとない不安感や焦るが忍び込んでくる。大抵はこういう時に、私はやたらフラメンコの練習を入れてみたり、人と会う約束を入れたり、様々なイベントを組み立てたりして忙しくするのが常。あっという間に、せっかくの「無」の時間を埋めてしまうのです。

昨日はそんな「無」がやってきた朝でした。

タイミングよく二転三転した予定が無くなり目の前にスペースが広がりました。

お天気もよく、なんだかワクワクしてくる感覚。アタマの片隅で「練習しなくちゃ」と思いつつ、身体はスタジオの予約を取る前に洗濯機へ。そこからは、次々目につく家の中やエクステリアの「気になっていたこと」をポンポンとリズムよくやっていき、最後はこれまで困り果て居ていたミントの茂みにハサミを入れ、そのミントで初めて「ミントペースト」が出来上がりました。夕食は早速そのミントペースとでサラダやお魚につけて美味しく戴きました。料理好きの相方もこのペーストに感動し、家庭平和にも大変貢献(苦笑)一日、ホームケアを楽しくクリエイティブに出来た夜はとても充実感に満ちた気持ちで休むことができました。私は実は家事が好きなんだな(笑)

自称「回遊魚」の私ですが、どこかでその「無」の時間に身を任せられない状態だったのかなと思います。もちろん、仕事をこれから構築していこうと思う今、焦りが無いかと言えば嘘になりますが、時に、こういうスペースを持つことが「ねばならない」動機から「直感」や「好奇心」、「ワクワク」といった動機に転換出来るミソなんだなと。そう、仕事もこの動機から発するものでありたいと。

フィンドホーンでは、「ホームケア」はみんなが実際に長期的、短期的に住む「ホーム=家」をケアすると同時に、一人一人の魂が宿る「ホーム=ハート」のケアと言われています。そして、それはトランスフォーメーション(変容)のプロセスと。実際、掃除や庭仕事をしている時にとても深い気づきがやって来たりもします。はっと、答えが見つかったり、あるいはクリエイティブなアイデアが浮かんで来たり。(ミントペーストはその賜物でした^^)

「直感」に従って生きること、あるいは内なる自分の声を聞くことはこうした日々の営みの中に常にヒントがあるのだということを体感した一日でした。

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