高尾山2万歩の旅

投稿者: | 2015-06-03
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真夏のような太陽に虹輪がでた

梅雨入り前の晴れた日に、かねてから行きたかった高尾山を歩いて来た。 フィンドホーン仲間のお一人が、ご自分が大病された時に一人で高尾山に通い、生きる力を得たかというお話を以前から聞いていて、彼女が伝える高尾山を一緒に歩いてみたかったのだ。 午前10時過ぎ、駅に着くと平日なのに結構混んでいた。ミシュランガイド三ツ星獲得の影響もあってか外国人のツーリストもちらほらと。我々はフィンドホーン式にひとまず、アチューンメントと自己紹介。今日のバディは6名となった。

IMG_3627登り始めの急な参道をゆっくりと登り始め、途中途中で足を止めながら、山道脇の植物たちの観察。ユキノシタの花や蛇イチゴに木いちごを見つけてワイワイしていたら、通りすがり常連の年配の女性が端からそこに生えている植物を説明して下さり、一通り話した後はサクサクと登っていかれた。その方はほとんど毎日のように草花の様子を観に来てるご様子。どんな人生のステージいらっしゃるのかはわからないけれど、毎日山を歩いて、植物と話しつつこうして見知らぬ人たちと何の垣根もなく話せるっていう人生の時間も素敵だな。

途中金IMG_3632比羅神社の祠がある広場で休憩。そこからは、関東平野が西から東にむけて一望できる。右に神奈川、真ん中に都心から 東京湾そして左手奥に千葉県と、若干霞んではいるものの大きな平野が広がる。そこに渦巻いているであろうものすごいエネルギーをこの御山は静かに眺めている。そのエネルギーの中に居るときにはここにこんな存在があるなんて全く意識してなかったけれど、ここはそういう意味でも、都会での日常を静観するいいスポット。高尾山はそういう意味でも貴重な場所なんだと改めて。

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ケーブルの降り口を経て賑々しい休憩所を通り過ぎると、ものすごくうねった根っこが目に入った。ご神木の「たこ杉」。かつて参道の邪魔になるからと切り倒そうとしたら一夜でこの巨大な根っこが出現し、そのままご神木として保存されることに。樹齢450年の迫力は凄い。たこの足のようなので「たこ杉」、そのご加護を願う人たちが大切な根っこをひっぱらないように、代わりとして脇に「開運 ひっぱり蛸」の石像が。人々に撫でられてその頭はツルツルでした。ダジャレ好きの日本的な自然保護(笑)

 

話しながら登ると時間の感覚もなく、お腹がすく頃にはお昼を食べる予定のお茶屋さんへ。 そこから少し霞む空の向こうには富士山が見えた。手前の秩父山系の向こう側に浮き上がる様に見える富士山の稜線はやはり美しい。こIMG_3643こ高尾山が関東平野を見守る存在なら、それをまたもっと大きなところから見守るような存在。富士山は本州のほぼ真ん中に存在し、単独峰だから360度方向にその存在感の後光を放つ。富士山が見えると思わず嬉しくなるのは、やはりその大きさに触れるからなのかな。山の存在感は人を謙虚にさせてくれる。海も然り。海と山に囲まれた日本人の自然観はこういう感覚から生まれていったのかもしれない。

お昼ご飯を食べた後、山頂を通り過ごして「一丁平」へ。 この旅は頂上に向かうというより自然とのアチューメントが目的。フィンドホーンで行う「自然と繋がる時間」を持ち、一人一人でしばらく沈黙の時間を過ごした。適度に整えられた広場には人もほとんど居なく、静かな時間を過ごすにはもってこいの環境。

一人になり、私はいつものようにねっころがる場所を探し、ごろん。 でも、あまり手の入っていない場所ではリラックスできず、蜘蛛の巣があったり、ハチがやって来たりと落ち着かない。諦めて、結局、小さな東屋の中のベンチで瞑想した。落ち着く。リラックスしてきて頭も緩み、鳥の鳴き声がそこから体全体に入ってくるようだった。 そこで聴こえて来たのは「人間も自然の一部。自然界は人にスペースを用意している」ということ。自然の中に作られた人工物の中で落ち着いている自分を感じながら。そして、これは、昨年の自然栽培塾で学んだことの一つ。

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若葉眩く

自然との関わりを考える中で、私が違和感を感じるのは、とかく人は自然を破壊する存在で「罪」を負っているという視点。でも、本当にそうなのか。確かに、人間はその知恵の使い方を誤り、過剰に自然界に介入していることも事実。でも、罪を負っている訳ではない。人間もこの自然界の大いなる計画の中で誕生し、その特徴として「知恵」を育て、そして社会を形成して種を継続する道を歩んで来た。それはきっと自然界との相互作用の中で機能していくものなのだと思う。

自然界が今の人間の有り様を怒っているのかどうかはわからないけれど、自然界はその恒常性の中で営みを続けているのだと思う。それは、我々が名付ける「自然災害」という言葉で表される現象も含めて。我々が自然界の原理原則を侵せば、それに対するリスポンスが自然からやってくるということ。崇め奉る、もしくはコントロールするという関係性ではなく、畏怖心を持ち敬いながら、対等に、親しい友人になる必要がある。フィンドホーンで行われている自然界との共同創造の実験はその一つ。ハワイアンのクムが話してくれたケニケニの木との付き合いこともそうだった。
(その内容はちょっと前のブログ「ハワイイの旅@ヒロ〜シアワセなフラの日々〜」にて)

満開のヤマボウシ

満開のヤマボウシ

ある意味、「罪の子」という場所にいることは時に魅惑的でもある。そうすることで自分の外側に権威をおいて、自身の何か創造的なアクションから逃れることでもあるから。 創造主は自分の中に存在する。 繰り返し、内に外に旅をしながら、うっすら見えてきた境界線の向こう側。自然界に意識的に関わることは今、とても必要なことだと感じる。 今日もまたそんな時間。

 

再び、仲間と集まると一人一人の深い体験が分ち合われた。 たった20分という時間であっても普遍性に触れるには十分なんだな。 最後にエンジェルカードをひいてみると「Purpose」山を一歩一歩登るエンジェルの絵が描かれている。山で繋がるエンジェルとしては文句無し!

一人一人満たされた感覚のもと、下界へ。帰りは通りがかった時がちょうどケーブルの最終便だったので、ひょいっと乗り込み楽々下山。がんばりすぎないのが、次に繋がる旅の秘訣なのだ。

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