仕事の合間を縫って一泊二日で館山・浜田の田んぼへ。
7月15日にある地域のお祭りの前にはご祭神が通る道を綺麗にするこの地域の皆様のラブインアクション。それを見習って、と、いえばとても準備万端だけれど、不思議と予定が立て込んでいる私達二人がすっと、時間が出来て、前日に来ることが決まったのでした。そして来てみたら、お祭りの為の草刈りに来たのだね、と理解した次第。
もちろん、いつだって田んぼに足音聞かせることは大切なことなのだけど。
東京発早朝のバスに乗り込んで10時頃から夜7時まで、夫は田んぼ周りの土木作業と草払い。私は田んぼの中の稲たちを観察しながら、草取りを。
先日、友人に田んぼのことを話しながら気づいたことが一つあった。
もしかしたら、田んぼの中は女性が周りは男性が担当するのが自然なのかもなあって。昔はもちろん全て手作業だったとはいえ、草払いも土木作業も機械や鍬などの道具を使う。「男」と言う文字は「田」に「力」=鍬が形のモチーフ。「力」を必要ととする土木作業や草払いは、やはり男の仕事だと思う。稲の世話は子育てみたいなもの。女性の育む母性が役に立つように思う。(私に母性があるか、というと若干自信ないのだけどもね。)
ちなみに「畝」は「田」に「女」が古代文字のモチーフ。種を植える場所は女が付くというのは面白い。種を植えるまでには男の仕事。それから育むのは女の仕事なのかもしれない。
田植えから一ヶ月たち、順調に梅雨の雨で育ち、想像通り、草も稲も元気に育っていました。田植えのタイミングで分蘖の仕方も差はありますが、ひとまず元気!!
わーい?って扇型に開きながら分蘖しています。
最初に植えた種取り用のササニシキくん達の辺りがガマ攻勢がなかなかでしたのでまたしてもガマ取り集中。
しかし、1日でできる作業など焼け石に水程度。自然栽培の田仕事に達成感を求めてはならぬと思った次第。でも、これはなんでもそうだな〜。そもそも、田んぼや畑の「稔り」は人間が働きかけを自然界からのギフト。
「達成感なんて人間のエゴだわよ。」
田んぼからそう言われた(笑)
「この地球も宇宙も循環の中にしかいないのですから。人間たちも。延々と続く命のリズムの中で生きているのです。達成感を求め過ぎて、あなたたちは過ちを繰り返すのですよ。」
その通りでございます〜
達成感求めるとプロセスが見えなくなるものね。ゴールはつかの間の到達点でしか無く、次の瞬間からすでに世界は変化をし始める。達成感など、一瞬のもの。そこに執着していると宇宙や地球のリズムとは合なくなってくる。そろそろ、達成感をモチベーションにしていきるところから成長していくときなのかもしれない。これはわたしの個人的な成長のプロセスかもしれないけれど、世間一般的な何かを「達成」することを、いかにも「あるべき姿」とするのはもう時代遅れな気がする。
先日のサトルワールドのワークショップやその後のトレーニングで改めて学んだ「Openness」という在り方はこのプロセスをただただハートを開いて共鳴しながら体験していくこと。そして発見していくこと。この在り方はもっと人生を好奇心と歓びに満たしてくれる。
やっぱりねえ、繋がるのよね。全て。オーガニックな連鎖はいつでも視界を広げてくれる。
草取り瞑想は思考が飛躍しますけど、でも核となるメッセージがやって来るのでした。
東京へ向かうバスの中。台風一過の空に緑深くなった山がその命の輝きを今この時とばかりに解き放つ。
世界が輝いている。