先日、掛川でのトランスフォーメションゲームの帰り道に「ねむの木学園」にご案内戴いた。広大に敷地の中に学園を中心に一つの村がある。
今回はその中の「ねむの木こども美術館」を訪れた。
「ねむの木の詩が聞こえる」というドキュメンタリー映画を見たのは10歳の頃。
宮城まりこさんの独特の語り口が未だにそのまま聞こえるくらい印象が記憶に残っている。
自分と同い年くらいの子供たちが、自分とは違う暮らしをしながら、描く絵の世界に引きこまれたのを思い出す。
40年ぶりの対面。
改めて子供達の絵の斬新さ、彼らの心の目でみた世界の鮮やかさや痛みや温かさがじわーっとこちらのハートに飛び込んでくる。
有機体が絵の中に存在する。
活き活きとしたモチーフ。
畳一枚分のキャンパスに、もの凄い集中力で描かれた幾千もの小さなお花の広大なお花畑。「3年間かかったからテーマを忘れちゃった。」というタイトル。
一人一人、独特のスタイルがある。
色の使い方、構成、モチーフ。
一人の男の子が、お母さん(宮城まりこさん)が入院した時に描いた絵は、細胞のような角が丸い四角が並びスモークグレーとスモークピンクに塗られている。彼はまりこさんが入院中、一切絵が描けなくなり、そして退院した時に再び筆を取り、先ほどの細胞達は真っ赤に塗られた。彼の中の「赤」が示すものに強烈に惹かれた。命の躍動感が伝わってくる。
カッコ良く描こうとしていない。
描かずにいられなくて出て来たもの。
そこには「情動」が宿る。
アートの力がみなぎっている。
まりこさんは子供たちがのびのびとかつ、しっかりと描きあげるために、子供たちが描く度に
「描いてくれたのね、ありがとう。」
と声をかけていたそうだ。
褒めるだけでは、満足して描き続けない、ダメ出しは萎縮させるだけ。
ただ、描いてくれたことへ感謝を伝える。
いま、学園の職員の方々も同じように声をかけているそう。
なるほど〜と唸った。
感謝されることで、もっと描きたくなる。これは、子供達だけではないかもね。
そして、描きたくなるまで待ち、そして描きたいだけ描かせてあげる。
学校で、一時間の中で描かされている子供達がちょっと可哀想になる。
って、私もその一人だったけれど。
「どんぐり」と名付けられたまるっこい建物は藤森照信さんのデザイン。
しっくいとどんぐりの木のコラボでホッとする。子供たちの絵の世界観とばっちりマッチング。
ねむの木学園の周りには、職員の方々の宿舎をはじめ、ガラスやニットの工房やお花屋さんが点在し、一つの村となっている。今度来た時はもっとゆっくり訪ねてみたいな。
現在宮城まりこさんは90歳になられ、ガンや脊椎の骨折をされ、車椅子での生活をしていらっしゃるとのことでしたが、その日も東京へ出張中とのこと。
雑誌に掲載されたまりこさんは、美しいおばあちゃまになられていた。
まりこさんのラブインアクション。アートの心を静かに熱く、そして揺るぎなく。
その愛に深く深く敬いを感じながら、肚に力が入る。