ハワイイの旅@ヒロ〜シアワセなフラの日々〜

投稿者: | 2015-03-30
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到着した日のHiloの空 呼吸が抜けてく

2年ぶりにハワイイへ行って来た。たまたま3つのきっかけが集まりハワイイ島のヒロ、オアフのホノルル、そしてカウアイ島はワイメアという町にそれぞれ滞在。

カウアイ島とオアフ島はこれまでも度々訪れていたのだけれど、ハワイイ島は今回が初上陸。かねてより、今もなおマグマが噴出し、新たな大地を創り出しているその土地のエネルギーに触れてみたいと思っていた。そこに願っても無い機会に恵まれた。昨年、宮崎でフラを教える友人がクムを招いてワークショップを開催した際に勢い、ハワイイ島の師匠(クムフラ)のレッスンの通訳のお手伝い兼ねての旅に行こうということになったのだ。一番問題であろう日程調整も整い、寒い日本から温暖なハワイへ向かうことになった。

ベッドから遠く海が見える

ベッドから遠く海が見える

2月26日の夜に成田を出て、その日の朝にホノルルを経由してハワイイ島のヒロへ到着。雨で有名なヒロにはスカッと広がる青空の歓迎を受けた。(と、勝手に解釈。)知人に紹介を受けた滞在先へ。ここはとある在米ン十年という日本人の方が、人の繋がりを大切にしながら育てたシェアハウスのような空間。広い居間の窓の向こうには町を挟んで海が見えた。この時期、ぼーっと見ているとクジラやイルカが見えるのだそうだ。そして、ハワイイになんと、暖炉。びっくりしたけれど、しばらくして納得出来た。やはり温暖なハワイイも冬はちょっぴり寒くなるのだ。色んな方々がこの家に泊まっては、この広い空間にそれぞれの場所を見つけてそれぞれの時間を過ごし、ご飯の時間になるとダイニングに集っては、分ち合う。理想的な暮らしだ。

ダイニングにはいつもプランツが。種がぽんぽんと弾けていた。

ダイニングにはいつもプランツが。種がぽんぽんと弾けていた。

早速、クムフラとのレッスンは翌日から始まった。既に何度か日本でお会いしていたこともあり、再会のご挨拶も程々に、まずはハラウ(スタジオ))のお掃除から。クム自らほうきを握り、丁寧に掃いていく。交わす言葉はなく、黙々と。代々フラの家系でハワイイ語の教育を行う学校等も運営しながら、日本や世界各地でハワイイの伝統のフラとアロハの精神を伝える一族の長に立ちながら、基本はまず、場を清めるところから。大げさでなく、当たり前に、そしてさりげなく。

掃除を終えた後は、友人が選んだ曲のハワイ語の歌詞を一つ一つ丁寧に読み解いていく。メレ(フラの曲)にはその歌詞が伝える言葉そのものの意味の裏に二重の意味があるという。歌っている人の背景や時代も加味されていくと、あっという間に一つのメレが立体的になり、振付けも膨らんでいく。曲調にメリハリが出て、物語ができあがる。

「歌を踊る」ということはそういうこと。歌詞の意味をただ直訳して撫でていても踊りにはならない。生身の人間が踊るものでなければならない。

かといって個人的なものでもない。そこに普遍性を持たなければ共有出来ない。伝わらない。フラメンコでも散々言われてきたこと。ジャンルを問わず、それは同じことなのだ。

「踊り手はこの物語、メッセージを伝える乗り物のようなもの。個人の体験や想いを踊る訳ではないことをいつも心に留めておきなさい。」と。訳しながら自分の心にも刻こむ。

歌の物語を心に描いた翌日は、その歌を経験する時間。歌詞に出てくる花、ケニケニのレイを作った。これもまた、大切なプロセスである、花を摘むところから始まった。

ケニケニの花 日ごと色が変化していく

ケニケニの花  日ごと色が変化していく

レイを作る為に、クムの家ではケニケニの花を始めとした様々な植物を育てている。放っておけばどんどん高く育つ木を、花摘みしやすい様に枝に石をぶら下げて低く枝を広げられる様に工夫されていた。ケニケニの花は咲くと日ごとに色が変わっていく。純白の白から黄色、そして最後はオレンジ色に。香もどんどん芳醇になり、最後はとても艶っぽい色気のある香になっていく。レイになってもなお、その変化は続くので、そのレイをいつ渡すのかを考えながら花摘みの日の予定を立てるのだそうだ。

花を摘むというのはつまり、その木を育てていること。放っておくと花は実となり、そこに木の栄養分がいってしまうため、定期的に花を摘み、また実も間引きすることでその木がより良く育てられるのだと。

面白いのが、花をあまり咲かせない木には釘を打ったりして刺激を与えるのだとか。時には「しっかりしなさい!」と叱咤激励するのだそうだ。なんとなく、お尻ペンペンされる木の姿が思い浮かべられて微笑ましい。人間と同じ、ハワイアンの人たちと植物達との信頼があるからこその関係なのだろう。自然界が求めている人間との関係はそういうものかもしれない。破壊しては守りますなんていうのは冗談じゃないわよ、ちゃんと対等な関係で向き合って頂戴!などと言っているのかもしれない。

綺麗に洗った花を独特な方法で揃えて、糸に通していく。

色が変わると全く違う印象になるケニケニのレイ

色が変わると全く違う印象になるケニケニのレイ

部屋中がケニケニの花の香に包まれて、自然と心も穏やかになり、繊細な生のお花を扱うので集中力も要し、雑念も消えていつの間にか瞑想状態に。花の香がこんなにもインパクトがあるとは。レイメイキングは、お花を生けるよりもずっと長い時間その香の中に居られる分、その花とのコンタクトも深くなる。全てが終わって、首にかかったときは思った以上の至福感に包まれた。

ちょうど、その日の夜にHonokaaという古い町のシアターで、とある学校の資金集めのイベントがあり、そこでクムのハラウのみなさんが踊ることになっており、早速そのレイを首にかけてお出かけした。

もうすぐ、毎年恒例のメリーモナークを控え、練習も佳境なこの時期。鍛えられて締まった体と日頃の鍛錬の成果によって力強いカヒコ(古典フラ)を立て続けに5曲踊られた。ハワイの言葉で唱われる物語は理解出来ないけれど、エネルギーの渦が行きつ戻りつしながらどんどん巻き上がっていく。ある種の厳しさを感じながら、これはショーとして観るものではないと思った。実際、彼らは興行としてのフラは踊らない。ハワイイの文化やアロハの精神を伝える為、あるいは自然界への奉仕のために踊る。その気高さを前に、この日の舞台を拝見出来たことはとても光栄なことだったのだなと思った。お金を出せば観られる、というものではないのだから。

フラカヒコ エネルギーの渦が高まっていく

フラカヒコ エネルギーの渦が高まっていく

レッスンはその後も続き、毎朝、ハラウに着いたら「Good morning!」と挨拶を交わした後は黙々と掃き掃除。前の晩にここで生徒達が汗を流し、懸命にレッスンを受けたのだなあと想像しながら、新しい一日を始める。このお掃除の時間がなんとも清々しく、そして心身魂が洗われるようだった。当たり前のことが日々の営みの流れを大きく変える。綺麗に整えられたハラウの床は生きている様に輝いていた。

友人のレッスンの言葉の橋渡し役をしながら、私も沢山のことを学ばせていただいた。そもそも人が踊るのは神様と繋がるため。それは、どんな文化に置いても古代の人々は音楽や踊りを通して神様と繋がり、コミュニケーションを図って来た。自然界はその一部として人間たちを受け入れ、種族として生きる場所を与えて来た。お互いに折り合いを付けながら、お互いが持続可能な在り方を模索しながら存在して来たのだと思う。ハワイイでは自然界と対話し、畏れを持ちながらも協働していく道を見つける為に踊り、祈ったのだろう。そして、それを次世代に繋げていく為に語り継いだ。それは、博物館に収蔵されている「古代のもの」ではなく、今もなお活きてここに存在している。回帰するということではなく、忘れそうになったらいつでも戻る場所があるということは尊いことだ。ハワイイの人だけでなく、ここ地球に活きる全ての人にとって。

5日間のレッスンは有機的な繋がりの中で終了し、ヒロの時間も終わり。最後の晩に、夜になると必ず歌う小鳥のようなカエルの声を録音した。ヒロでの時間をほんの少しiphoneに封じ込めた。

Waipio Valley

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