「からだとこころの平和」〜歩くこと〜

投稿者: | 2015-07-03

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友人、佐々木愛さんより「こころとからだの平和のバトン」を受けとりました。このこころとからだの平和バトン」は広島市西区:光寺 東 和空住職の発案で、天城流湯治法 Sugimoto Rendow 杉本錬堂さんから始まったそうです。

私から次のお二人の方へバトンを渡していきます。3回にわたってわたしの「からだとこころの平和のバトン」を綴っていきます。

 

「こころとからだの平和」は、私にとって一貫したテーマです。

20代の頃から、「からだ」で体験すること、感じるとで、私は世界を理解し、また何度かの難しい局面を超えて来たと思います。

特に「歩くこと、踊ること」を通して、私は「こころ」を育てて来ました。

「からだ」を通して心を育てた原体験は、20代の前半にバックパックを背負い「地球を歩く」旅をしていた時期に、体験したキリマンジャロ登山、そしてヒマラヤのアンナプルナサーキットのトレッキング。

それまで、全く運動らしい運動などして来なかった私にとっては、トレッキングの始めは身体の重たさや筋肉の疲れで最初はなかなかキツイ状態でした。一日の登山だと、ここまでだったと思いますが、キリマンジャロは6日間、アンナプルナサーキットにおいては28日間の歩く旅。引き返すのもままならず、目の前に現れる道は進まざるを得ない、ということを受け入れるしかありませんでした。

でも、それが良かった。最初の肉体的な疲労のピークを超える3日目あたりから、身体が歩きながら鍛えられ、それに伴って気持ちにも余裕ができ、どんどんと歩けるようになってくるのが面白くなり「からだ」に目覚めてゆきました。

頭の中もスッキリ。湧き上がる様に、ぽんぽんとシンプルだけど普遍的な気づきがやってきて、それはいまでも、私の心の栄養になっています。

道中は登ったり下ったり、平坦だったり。時には、一気にエネルギーを使って岩場を登るかと思えば、果てなく続く雄大なランドスケープを眺めながら、緩やかな道を鼻歌まじりで歩く。一歩一歩、歩いているだけなのに、振り返ると、遥か彼方に出発地点が見えて、そのプロセスに満足感を得たり。

高度が4000m、5000mと高くなれば、ひと呼吸するのもきつくなり、この地球には人が生きることができない場所が在ることにも気づかされる。そして人里に降りて来たときに出逢う、素朴な家に感じる人々の暮らし。煙突から上がるかまどの煙に、言いようの無い安堵感と懐かしさを感じたり。

究極な環境に身を置き、その自然界の厳しさを味わって再び、人間を受け入れてくれている自然界に出逢うことで、人間の脆弱さと共に、自然界の大きさも感じる体験でした。この地球上に、人間が立ち入れない場所が在ることをからだで知ることは、この地球上に生きる上でとても重要なことだと思います。

それはからだの記憶として今でも鮮明に呼び起こされます。身体を通して得た体験的な叡智と自信は、心の筋肉となりました。

「歩く」ことは人として、この地球とコミュニケーションするもっともシンプルな手段。地球との対話をする時間なのです。

忙しい都会の日常では忘れがちだけれど、何か行き詰まったら外へ出て、できれば自然の中を歩くこと。一人でももちろん良いけれど、プライベートでも仕事でも大切な人と大切な話をするのも、歩きながらというのはなかなか良い方法だと思います。

次回は「踊ること」についての棚卸し。