先日、年に一回この時期にあるフラメンコの師匠、松丸百合さんのソロライブに行った。
ほぼ生徒全員が顔を合わす場でもある。よくある、先生の踊りは観にいかなきゃ、ということではなく、見逃せないという想いで集まるライブ。
カンテ2人、ギター2人、バイオリンとパーカッションという錚々たるバックをひかえて、二時間あまりのライブを一人で踊る。
ソロ・デ・ピエで始まった黒のスーツで踊るシギリージャ、二曲目は一転、白いスーツで笑顔から始まったアレグリアス。休憩を挟み、真っ赤なドレスでのソレア。
一つ一つに意志とどこまでも深くなっていく愛が込められた踊りだった。
こうして書きながらもまた涙が溢れてくる。
そのくらい、その場にいるわたしたちの体の奥深くまで、そのバイブレーションが刻まれた時間だった。
今回のライブには、ここ数年の間に大切な存在を立て続けに見送った今、愛おしさを静かにそこに置いて、ここらからまた生きていくという意志があったように、勝手に感じている。
あの彼女の愛の深さに、我思う。
私は何を踊っているのだろうって。
反省はすまい。
でも、もう一度わたしの核を感じてみたい。
方法論はわからないけど、踊ることでしかわからない、それだけわかってる。
持ち合わせた肉体と宿る魂ともう一度繋げていくこと。
いま、肚の中で何かが蠢く。
彼女の愛の伝播をありがとうとともに受け取ろう。
そして、それを踊ってゆくぞ。