そうか!
お互い、一つ世界を創ってるんだ!
あなたはわたしの描く世界の一部を担ってて、わたしも同じようにあなたの描く世界の一部を担っているんだね。
今朝の瞑想の後に朝ごはんの支度をしながら「わかった」こと。
答えは唐突にやってくる。
パートナーとどうしたら、これからの人生を共に歩んでいけるかな?
この、問いかけは出会った時からずっと私の中で繰り返されて、その実験をお互い、果敢に(苦笑)挑戦してきた。
なんせ、私は半世紀近くも独りで生きることを鍛えてきたわけで、一緒に暮らす、だけでわたしにとっては充分チャレンジ。彼の場合は家族を持ってから一人になって、そしてまた二人になる。新しいステイタスの挑戦は同じこと。
一緒に暮らし始め、社会的に夫婦になり、田んぼを創り、日々食事を共にする時間をお互い創り、思うことをできるだけ正直に伝える。最近は瞑想も一緒にするようになった。
これだけでも十分だし。よく、お互いが、お互いに付き合っているとも思う。
子育てが無い私たちは、何をかすがいに共に生きていくのかという問いもまたある一方で、だからこそ、それ故お互い、自分がこれまで育ててきた仕事や社会的な活動はそれぞれにとってとても大切なこととなる。
だから、それぞれの仕事を尊重する。
それは大前提。
精神的にも経済的にも基本は自立していくこと。わたしはややお世話になっているけれど。
しかし、
自営の二人とは日々、創造活動な訳で、様々な予定やタイミングの調整が難航したり、気を使うのが仇になってしまうこともしばしば。
それでも、シェアを繰りかえしながら大分進んできたし、一緒に瞑想できる喜びも感じる日々。
でも、どこかでなんかがまだ繋がってない、そんな気持ちがあった。
あなたはあなたの仕事をしていて、私は私の仕事している。それぞれに「自分の仕事」を握りしめて、日々を生きている。
それぞれがいっぱいいっぱいな時は相手への思いやりもなかなかできなかったり、「慣れ」の中でお互いにうまく「対応」できるようにはなってきたからそこそこ平和には暮らしていたけれど
「何か、まだ突き抜けられない。」
漠然とそんなことを感じていた矢先に突然の「わかった」感。
相手の仕事は実はわたしが創造したい世界の一部を担ってくれているのかも?と思ったら、内側からムクムクと感謝の気持ちが湧いてきた。
そして、わたしも彼の創造する世界を描いている、と感じたら、なんだかスッキリ。
どこかで感じていた「勝手ばかりして悪いな。」という小さな罪の意識がすっと、消えた。(それを感じていたこと、同時に気づいたのだけど。)
一つの世界を、それぞれに与えられた場で創造してるんだなと感じたら、ワンネス感が腑に落ちた。
そして、これはつまり自分たち以外の人たちもまたお互いにお互いの世界の一部を担っているんだなぁと。
そう思ったら道ですれ違う人にも、ありがとうと言いたくなってくる。
頭は、飛躍するなあ〜と言ってますけど、その感覚、とっても大事だって腹は言っている。
小さな気づきの種は弾けて私のハートに根を生やした。その萌芽はスクスク発育中。
大事に育ててまいりましょう。
街の桜の蕾も弾け出した。
春の陽気が舞い降りる朝。