今朝ストンと落ちてきた。
あんでるせんのマスターのメッセージ。
全部がイメージなんだって。
イメージの力が創造の力。
この世界の物語はイメージで生み出され続けてきた。
私たちはずっとそうやってこの世界を創造してきたんだよって。
全ては波動と光の屈折で私たちが認識している物質と形は成り立っている。
そして、記憶という時間装置と距離という空間感覚によって制限されたイメージの枠の中で私たちは生きている。
でも、その制限は外せるのだから、外してみてるだけ、と。
20年前、親しい友人が目の前でスプーンの頭を見つめるだけで飛ばしたことを見たことがあり、その人もスプーンを形作る構造が解けてバラバラになるイメージを描くんだと言ってたのを思い出した。(そういえば、この人も喫茶店のマスターだった 笑)
いずれも、それが当たり前、というところに立ってて、かなりの脱力系。
そして、最後はそれをやるかやらないか。しかも、楽しんで、毎日のように繰り返し繰り返しやるかどうか。
『マスターは宇宙人だから〜?』
では、なぜわたしはそうではないのか。
これもイメージ。
そもそも、私たちは宇宙の星屑だったわけで私たちも宇宙の全ての情報を持ち得ている。
単に、この三次元での体験と記憶の中にどっぷりいるからなかなか思い出せないだけ。それが悪いわけでもなんでもなく、ただ、そうであるだけ。
すごく、飛躍した話だけど、そんなことが今朝になってストンと落ちた。
全てはイメージなんだから、自分でイメージしたことを創造できるんだと。
小さな喫茶店のマスターだって、ほらねって。
『連れて〜逃げてよ〜 着いておいでよぉ〜 ?
マスターの鼻歌がヘビロテ中。