今回で8回目のグループとなる2017年のフィンドホーン日本語体験週間が完了し、帰国して3週間。時差ぼけがようやく落ち着き、何度行ってもやってくる「フィンドホーン・ロス」を味わいながらも、日常に滑りこんでようやく調子が出て来るころ。今年は、帰国直後から仕事やイベントが続いたので、その時間も長引いた。
今年は8月の開催となり、滞在もオリジナルキャラバンやエコビレッジがあるパーク。参加者の皆さんが宿泊したのがコミュニティの真ん中にある「ゲストロッジ」で、ミーティングのスペースはパークビルディングの中にある「レクチャールーム」。2004年に初めて私が体験週間に参加したときと全てが重なったことも助けたのか、今回のグループと私の体験週間の時のグループのエネルギーが重なる感覚に度々包まれたのがとても印象的だった。
一日だけ朝に雨が降った日があったけれど、ほとんど真っ青な空とお日様に恵まれた一週間。この天候にも支えられ、体調を崩す人も無く全てのプログラムがスムーズに、そして日々歓びがますように過ぎていった一週間だったことは、オーガナイザーとしてはとてもありがたい状況だった。
一人一人、バックグラウンドも年齢も違い、それぞれに世界観を持つユニークなグループで、普通にそれぞれの日常を生きていたら出会うことも無かったかもしれない人達。
でも、何かの呼びかけでこの時にこのグループとして集い、寝食共にしながら濃密な一週間を過ごしてみると、なんとも言葉に尽くしがたい「芳醇な」グループへと発酵していった。
純粋なハートが開き、そこに響き合う時、見えないけれど確実なコネクションがそこに生まれる。
グループプロジェクトでカランガーデン(フィンドホーンの農園)でじゃがいも堀をした時、雲一つない青空の下で、自然界の命の歓喜に刺激されてグループの「発酵」がプチっと弾けて始まったような気がした。感覚的なことだけれど、そこから一段とみなさんの感覚が自由になったように思う。
夜ごと、ゲストロッジの真ん中にあるダイニングルームでは語らいがあったことでしょう。
ある一夜、わたしや通訳の渡辺さんにもお声がかかり、そのダイニングルームでのアフターディナーの時間にお邪魔した時、参加者の一人でフィドル弾きのお百姓さんの男性が、仲間たちに心を込めて、彼がフィンドホーンで受けとった旋律を奏でてくれた。
それはとても繊細で、真正直で無垢だった。
その優しい感動の波紋は、グループのみんなの心を震わせ、全員に響き渡った。
未だに、私の心にもその響きが蘇っては涙がこみ上げてくる。
2004年に参加したわたし自身の体験週間の時に、その同じ部屋で夜ごと仲間と過ごした時間が蘇り、そこから始まりった、ここまでの時間が押し寄せてきて静かに静かに満たされていくのを感じていた。
私の中で、この体験週間や様々な企画を進めていく中で、いつもどこかで持ち合わせていた漠然とした恐れやコントロール、期待や落胆が流れていった時間。
何もする必要は無い、ただただ一人一人のありのままを信頼することなんだと。そして、私自身も。
大きな意図、そこに信頼を持つこと。
ディーバ達が見せてくれる世界を見ようとする意志はもちながら、掴んでは手放していく。
その繰り返し。
今のこの気づきさえもまた手放して。
必要なことはいつでも、再現されて、また私に教えてくれる。
未来にオープンであること。これはフィンドホーンで学んだ大きな意志。
「種」はいつだって全てを持ち合わせていて、ただ、その意志を生きればいい。
忘れちゃったら、またそこに戻るだけ。無邪気になって。
「体験週間」はやっぱり、何か特別な時間。
そこから先は自分ひとりの探求の旅。
でも、体験週間で味わった「コネクション」が体感として残っているならば、きっとそのひとり旅は孤独ではない。だから、「体験週間」がゲートウェイなんだと。
まさに、今年のグループエンジェル、「Exploration〜探求〜」の旅がそれぞれに始まっていることでしょう。
わたしもまた次の旅へ。
まだ見ぬ仲間たちはいずこに。
また一年をかけながらゆっくりと出会ってゆくのでしょう。
「体験週間」のディーバとともに。